"個人的体験"に裏打ちされたユニバーサル・デザインを
仕事の関係でCSR関連の本を読んでいます。(書名は文末に記載) 基本的には昨年一年間で各企業が行なったCSR活動の事例と全体の潮流を追ったビジネス書なのですが、その中で「ユニバーサル・デザイン」について考えさせられる事例が紹介されていたのでここに紹介してみたいと思います。
「トステム」という企業が、NPO「ユニバーサルデザイン生活者ネットワーク」とのコラボレーションでハウジング用プロダクトを作り上げた事例の中での企業側(トステム企画部長亀下氏)とNPO側(ジム京区長 大矢野氏)とのやりとりが上書内で紹介されています。
NPOへの期待は大きかったが、ユニバーサルデザインについての自分の想いがうまく伝わっているか、不安の方も大きかった。亀下は見込みがなければ、黙ってひきあげるつもりだった。
一方の大矢野は「万人にとっていいユニバーサルデザインというものはある意味、万人にとって良く無い。あまりユニバーサルデザインに頼らないで、住い方そのものを考える必要がある。そこはメーカーと消費者、生活者とのつなぎ役である私たちの責任」と歯切れがよかった(中略)
おばあちゃんに、バリアフリーのお風呂をプレゼントした友人が、「初めは、おばあちゃんも喜んでくれたんだけど、逆に足腰が弱くなって寝込みがちになってしまってね。よかれと思ってしたことなのに」と話すのを聞いていた亀下は、大矢野の話を聞きながら、その場でNPOといっしょに新しい共創型の商品を開発することを決断した。
出版元が日経系なので、それなりの”演出”はある程度含まれているとして、また上書内では「企業とNPOの”共創型コラボレーション”の成功事例」の文章なのだけれど、その短い文中にユニバーサルデザインについて考える為の重要な示唆が含まれているように思う。
手法や分析で全てが解決する訳では無いのだ。それらはあくまで「基礎編」であって、プラス”個人的体験や経験値”を元にしたなにがしかを提示する事で初めて生活に適合出来るUDを完成させることが出来る・・・そうしたイメージを亀下、大矢野両氏が共有出来たからこそ成功したプロジェクトなのだろうと思う。
最近通常生活の中でもユニバーサルデザイン的な、”障害者や弱者に配慮したデザイン”というのを特に公共設備などでよく見かけるようになってきたが、しかしよくよく見るにつけ『それは本当に”優しい”と言えるデザインなのか?!』と考えさせられる(時には怒りすら伴う)ものも少なくない。・・・このblogでも、今後そうした話題に少しずつ触れていきたいと思う。
*当エントリーの引用は下記の書籍からのものです。

現場発 CSR優良企業への挑戦?アイデア、連携、組織づくりの成功ノウハウ
藤井 良広, 原田 勝広
2/27追記:
コメントで「独自の視点で紹介」という意見を戴いて、確かにこのエントリーは少し”独自過ぎ”だなと少し思う。・・・本の紹介をしたいんだかUDについて書きたいんだかが、すごく中途な感じ。
なのでUDについての引用・記述を少し追加。
UDCユニバーサルデザイン・コンソーシアム|ユニバーサルデザインの理念:7原則とADA(障害をもつアメリカ人法)
ユニバーサルデザインが生まれた背景には、キング牧師に代表される公民権運動が、障害をもつ人の権利運動に影響を与え、彼らの運動が法整備を促進させてきた経緯がある。(中略)ロナルド・メイスは、法律の限界を踏まえて、障害のある人を特別視せずに、あらゆる人が快適に暮らすことができるデザインとして、ユニバーサルデザインを提唱した。ロナルド・メイスが唱えたユニバーサルデザインは次の7原則で構成される。
1.誰にでも公平に利用出来る
2.使う上で柔軟性に富む
3.簡単で直感性に利用出来る
4.必要な情報が簡単に理解出来る
5.単純なミスが危険につながらない
6.身体的な負担が少ない
7.接近して使える寸法や空間になっている
誰にでも公平に=誰であっても特別扱いせずにすむ機能や環境をデザインする事がUDであり、それを成立させる為には”住い方”がどうあるべきか、といった根本問題に触れざるを得ない、という点を担当者2人が体験的に直感的に理解していたからこそ成功を収める事が出来たのだろうと。
向き合うべき対象が誰なのかという事が見えなければデザインは成功しない、どころか成立すらしないだろう・・・・それを胆に命じて仕事をしていかなければ、と思う。
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こんにちは。
独自の視点で紹介されるエントリーをいつもたのしみに読ませていただいています。
現在、僕もある企業のCSRにちょっとだけ関わって仕事をしています。
『万人にとっていいユニバーサルデザインというものはある意味、万人にとって良く無い。
あまりユニバーサルデザインに頼らないで、住い方そのものを考える必要がある。』とても小気味よいコメントですね。
ユニバーサルデザインがあたかも社会のニュー・スタンダードとして
義務的、かつ受動的に浸透、理解されていくことに、僕は馴染めない場面があります。
安全、便利性をたえず追いかける生活者は、
その一方で人間の大切な本能を自らの手によって退化させていることを、
いま、強く認識すべきと思うのですが...。
それでは。
どうもdorado さん、お久し振りです。
このエントリーはあまりに独自過ぎたので少し加筆しました・苦笑(でも加筆が多いのも自分の特徴でもあります)
「ユニバーサルデザイン」という”お墨付”があれば企業としての社会責任を果たしているんだ、みたいなスタンスには自分も腹が立ちますね。
”道具とヒトとの関係”について考える時、自分は「トップアスリートと道具との関係」を比較対象として思い浮かべることにしています。例えば清水宏保とスケート靴との関係・・・・”アスリートと身障者では全く条件が違うではないか”という声も聞こえてきそうですが、しかしどちらも「身体の機能の極限の状態で、更にその先を目指す為に、自分にも道具にも妥協しない」という点では全く変わりがありません。
UDの第一歩は、そうした状況を受容し甘やかす事なくしかし温かく見守る事の出来る環境づくり、から始まるのかも知れません。
そういえば、podcast聞かせていただきました。予想より遥かに若々しく弾んだ声に多いに刺激されました。・・・自分には多分podcastは出来ないと思いますのでその分も含めて次回も楽しみにしています。