good bye, 白南準
パイク氏は1932年、日本の植民地統治下のソウルで生まれ、東京大文学部を卒業後、西ドイツ(当時)に渡り、前衛芸術運動に参加。63年の初個展でテレビ受像機を使った実験的な作品を出品し注目を集めた。その後、ニューヨークに居を移し、ビデオアートの先駆者として活躍。84年に同地とパリを衛星回線で結んだ「グッドモーニング、ミスター・オーウェル」を発表するなど、電子技術を駆使した表現を開拓し続けた。妻は、日本人美術家の久保田成子(しげこ)さん。(読売新聞より) 日本時間で2006年1月29日午前6時ごろ、アメリカ合衆国フロリダ州マイアミの自宅で死去した。 遺族によると、ビデオ・アーティストの妻と看護士が見守るなかで静かに生涯を終えたという。ちなみにパイクの死去は、彼の甥により、韓国のマスコミに伝えられたらしい。(Wikipediaより)
シュトックハウゼンやジョン・ケージとの交流。フルクサスの「戦士」。ビデオアートの「父」・・・・自分がナムジュンについて知った時には既に”伝説”と化していた存在。
自分は小規模な、というか”単品の”インスタレーション作品しか目にする機会が無かったのが残念。大規模な回顧展が開催される事を望みます。
氏の作品の”片鱗”は The New Media Encyclopedia(produced by the Centre Georges Pompidou)で映像で見る事が出来ます。フォーマットはWMP & QT。
翌日追加リンク:
エントリー起こした時点でオフィシャルサイトがどこなのか不明でしたが分かりましたのでリンクを。
Nam June Paik Studios
Categories
art1 TrackBacks
Listed below are links to blogs that reference this entry: good bye, 白南準.
TrackBack URL for this entry: http://resonance.s76.xrea.com/mt4/mt-tb.cgi/303
» ビデオアートのグランドファーザー逝く from 弐代目・青い日記帳
新聞を読んでいた妻が 「この人って前に話していた人じゃない?」と 食事後、寛いでいる私にたずねてきました。 その新聞を見てみると社会面のおくやみ... Read More
2 Comments
Leave a comment
(If you haven't left a comment here before, you may need to be approved by the site owner before your comment will appear. Until then, it won't appear on the entry. Thanks for waiting.)


ヒカシューという”テクノポップ”バンドの曲、その名も「パイク」で初めて、故人の存在を知ったと言ううつけ者のわたくしですが、現代美術とか大文字のARTという文脈から解放された、軽やかなユーモア感覚が好きでした。
たいさん、どうも今晩和。
エントリー起こしてる間はすっかり忘れていましたが、「環境ヴィデオ」なんてジャンルもありましたね。
現代音楽であった「電子音楽」がエレポップとして普遍化していくのとまさにパラレルに”ヴィデオ・アート”というジャンルが拡散していったように思います。そしてその両ジャンル双方でB.ENOは重要な架け橋的役割を果たした訳ですが。
そういう歴史的な事とか昔の記憶とかすっかり忘れた状態で、パイクの作品群を新鮮な目で見る事が出来たのですが、改めて思ったのは「つくづくこの人はTV(受像機)というものの存在や特性の滑稽さに憑かれた作家だったのだな」という事でした。
氏が作品中で夢想したり想像したりした世界(の一部)が、違う位相で「最良でも最悪でも無いかたちで」実現してしまったここ1-2年のインターネットについてどう思っているか聞いてみたかったですが、それも叶わぬ事となりました。
PAIK=白=光を放つ物体を用いた作家、というのは出来過ぎですよね。きっと”TVのスイッチを切る”ように、軽やかな手つきで現世から旅立ったっていったのだと思います。・・その先が光に包まれた世界なのか漆黒の闇の世界なのかは分かりませんが。