モノゴコロ離れる

”厚労省が「痴呆(ちほう)」に替わる用語の検討”を開始した事に関連したコラム。
こうした「呼称の変更」に対して、”言葉の置き換え”を行うだけで本質を隠蔽するだけだ、と批判する向きもあるだろう。(そういう事例が多い事も確かだが)
 しかしこの問題に関しては、”現実を隠匿する為の語句の置換”とは違う取り組みが成されるだろう、と思っている。
 自分の近親者が”ぼけ”ていく現実と日常と向き合って、それをどう肯定的に捉えていくか・・・これから更に高齢化していく日本の社会では欠かせない”価値転換”の作業であり、その結果が「言い換えるべきコトバ」として創案、定着していくべきなのだろうと誰もが考え始めているという事。
 「子供返る」「老人力」という素敵な表現も既にあるものの、もっともっと”優しい”コトバもあるように思える。


なんでこんな事をいきなり書く気になったかというと、自分の親戚がまだ若くして(60代初め)痴呆初期症状である「見当識障害(最近の事が記憶出来ない)」になった事があって・・・最初は結構ショックを受けたが、その状態を”ありのまま受け入れる”事が出来るようになってからは、精神的にすごく解放された事があったので。
・・・・”モノゴコロ付く”という言葉があるが、乳児〜幼児への脳発達過程で「長期記憶」が可能になるのが2歳前後位の時期で、それを「モノゴコロ付いた頃」と表現しているとも言える。
 ならば「モノゴコロ離れる」という表現もあってもいいよな、とふと思う。 考えようによっては素敵じゃないか。 
なんだか”世の煩悩”から解き放たれたみたいな響きさえして。


何故去年の9月頃の新聞記事を元にエントリーを起こしているかというと、実は他blogで過去ログを整理している時に、『下書き』としてその当時そのままエントリーされなかったテキストを見つけてしまったから、なんですが。
他にも何本かそうした”未発表ログ”があったので、折をみてポストしていこうと考えています。

追加link:ロハスな住環境をめざして:坂本龍一×黒川由紀子×小山健介(asahi.com)
このマンション開発プロジェクト自体は正直「どうなんだろう?」という感じですが、対談の内容には人の生や老いに関しての興味深い発言有り。

黒川 アルツハイマー病の方の心理療法をしてきて、何百何千人という方とお会いしてきたのですが、抽象的に考えることができなくなってくると、具体に戻ることが大きな意味をもつんですね。たとえば、「食べ物について話そう」というときに理屈で生きているときは、抽象的なイメージの世界からでも話が進みますけど、病気が進行しますと実際にスイカの実物を丸ごと持ってきて重さとか冷やしたときの冷たさを感じ、味わうといった具体的な体験から、記憶のチャンネルがもう一度繋がって、情緒が実有されるということがあります。年をとるということの中にある具体への回帰が、人の生活を案外豊かにするのかもしれない、と思います。

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